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食事の好き嫌いに対する、好き嫌いが多い人間の意見

食事
私は好き嫌いが多い。

アレルギーはきちんと診てもらったことがないが、松茸で蕁麻疹になったことがある。

病院で処置をしてもらい、おそらくアレルギーと診断された。それも20年近く前の話なので、今の診断はどうだろう。

 

アレルギーは食べたくても食べられない。

しかし好き嫌いは食べられないではなくて、食べたくない、だから厄介だ。

 

私は子供の頃から、魚、貝、レバー、きのこ、酢飯、ビーフン、餡、などなどとにかく嫌いなものが多かった。だから食わず嫌いも多い。

おいしいカレーもシチューも、シーフードはゲテモノ扱いになる。

きのこが入っているだけ発狂しそうになる。あんな菌糸類、食べなくても死なない。

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同居家族の中で偏食しているのは私と父方の祖母だけだったらしいので、食育の問題ではない。個性の問題だと思う。母親は相当面倒くさかっただろう。

しかし当時の私にしてみれば、嫌いだし、まずいし、食べたくないものばかり出されて心底悲しかった。食事が嫌いになることはなかったけれど、嫌いなものが出ているときは食事が苦痛でしかなかった。家でも、給食でも。

 

それがピタリと止んだのは松茸で蕁麻疹になった時。

家で、私の嫌いなものを無理に食べさせることはなくなった。開放された瞬間だ。

 

そういうわけで、私は好き嫌いをする残念な大人である。

 

大人になると舌が変わる。

よく聞く言葉だ。

半信半疑に思っていた私は、成人して数年、心底驚いた。美味しいと感じるものが増えたのだ…

 

嫌いだったアンパンがおいしい、和菓子がとまらない。アボカド丼の酢飯は最高だと思う。

未だにおいしいとは思わないけれど焼魚とフライ魚が普通に食べられる。

皆のごちそうというイメージの、私には地獄の寿司屋。これに行って注文できる。

近年の回転寿司屋の多様性は、私の中の敷居を下げてくれたが、それ以前の問題だ。

 

嫌いなものも食べなければいけないという謎の食育。

好き嫌いをする私にとっての完全な偏見だが、子供の頃、心の底から理解できないことのひとつだった。

嫌いなのだ、まずいのだ、舌が、脳が、体が拒否しているのだ。おいしいと思う人が食べればいいじゃないか!モッタイナイ。

別段まずいとは思わないけれどカニやイクラはおいしいと思わない。それなのに私の前にも出される。本当にモッタイナイ。

今になって思えば、様々な食事に触れるという点で間違った行動ではないのだが、本当に理解できなかった。

 

好きだ、おいしいと思う人が食べてこそ食べ物は浮かばれるのではないか?

食事に感謝しましょうと言うけど、おいしいと思わない人に食べさせて、果たして食べられた食事は浮かばれるのか?

私はそう思わない。いい年した大人だから、強要されるのは食事への感謝に対して無意味に等しい。

そもそも私の場合、米と野菜と果物と鶏肉さえ食べていれば栄養的にクリアできるし、そういう質素な食事の方が好きだから、贅沢病とは違うと思う。

生涯で触れる機会がなくてもおかしくない高級食材に興味はない。

 

だからというわけではないけれど、好き嫌いの多い子供を持っている親御さんに言いたいのだが、アレルギーではないなら嫌いなものは程々に食べさせて、大人になるのを待ってあげて欲しい。

多分、勝手に食べられるようになるから。

大人になっても食べられないのであれば、そもそも体に必要にないものだと思うから、放っておけばいい。自己責任だ。

 

好き嫌いがある人は、慎ましく生きよ。

大人になっても好き嫌いの残っている私の外食事情だが…

実家ぐらしの頃は時々混入されていてもそっと避けて食べればよかった。

一人暮らしを始めてからは全く食べなくなった。ちなみに至って健康体でした。外食で混入されていたら、申し訳ないが残した。

 

今は夫がいるので、食べたくないものが混ざっていたら、彼のお皿にそっとのせる。何も言わず食べてくれる優しい人だ。嬉しくて涙がでる。

だから私は食べたくないもの、たとえば魚料理やキノコ料理を自宅で作る。においの時点で嫌いだからノックアウトされそうだし、味見ができないが、夫のためだけに作る。味見しなくてもいいようにレシピ通りか、適当な時は夫に味見をしてもらっている。

 

もちろんの話だが、好き嫌いが多いので外食の幅が狭い。

だから、誰かと一緒に行くときは、相手に任せる。そしてその店で食べられるものを探し選ぶ。

それくらい慎ましくした方がいいと真剣に思う。

私アレ食べられないからイヤ~って言い続けられて、相手がどう思うかを考えない好き嫌いがある外道人間とは、同じ人間扱いされたくないものである。