二人の心地よい時間とはそれぞれに違う

スマートフォンに夢中になっているカップルが隣りに座っていた。

 家族と出先で食事をしようということで、近くにあったファミリーレストランに入った。息子はまだおすわりも出来ないが、ある程度の時間は静かにしていられるので、外食はあまりハードルが高くない。ましてやファミレスだ、平気で入れるところだ。

案内された席の隣りにいた二人客はメニューを見ていた。

注文が終わると、二人してスマホを取り出し画面とにらめっこをしていた。

その姿を見て、昔のことを思い出した。

 

私個人の主義として、二人きりの時はなるべくスマホを見ないようにしている。目の前の相手を放り出して一人の世界にこもるのが失礼だと思っているからだ。

二人ならば相手と会話をする時間であると思っている。もちろんする会話もないときだってあるけれど、他愛ない食事の話だとか、これからのことだとか、日常にあったことだとか、なんだかんだあるものだと思っている。

私自身会話をするのは苦手な方で得意ではないけれど、退屈ではない程度に過ごせていたと思う。

 

まあ、あくまで私の主義であって、相手には関係ない。

実母なんて平気でスマホを取り出してSNSやニュースを見ている。今やらなくてもいいんじゃないかと思うことをしている。自由人だ。

私はそれに慣れているし、実母だから特別なにも思わないけれど、そこまでして見たいものは何なのだろうと真剣に思う。友人が多い人だからこそ常々見なければ、追いつかないのだろうか。

友人が少ない私にはわからない世界の話だ。

 

ところで思い出した昔のことというのは、二人目に付き合った男のことだ。

少し年下だった。私のオタク趣味にも理解のある人で、相手もオタク趣味があった。相手を許容できるという意味で、居心地は悪くなかったと思っている。

けれども彼はスマホ中毒だった。何かあればスマホを見た。眼の前にいる私との会話や何もない時間より、スマホでゲームをするので忙しかった。

最終的に私は泣いた。お願いだから、二人でいる時にスマホばかりしないでくれ。ないがしろにされているようで気分が悪いと訴えた。

彼はとても素直な人なので、遠慮してくれるようになった。

けれどもその後、積み重なる気遣いのなさに私に事はどうでもいいと思っているのだろうと思えて仕方なく、別れた。

 

実際問題、二人いてどちらかが何かに夢中になっている時間に、残された人間は何をしていたら良かったのだろう。

偶然見たドラマで、二人それぞれ物思いに耽るシーンあり、ああなるほどな、と思った。

私は二人の時間というものを強要していたのだと気がついた。相手からしてみれば一緒にいるのだからそれで十分だったのだ。私がそれ以上、それ以外のものを望んでいたのだと。

私も一緒になってスマホに夢中になれて、ただ一緒にいる時間を過ごせたらまた違っていたのだろう…

 

とはいえ私はやはりこの主義を変えられない。

相手を置いて他のことに夢中になるのはできない。今でも夫が起きている時は、なるべくスマホをかまわないようにしている。

夫は何も思わないのかもしれないけれど、平日に時間がほとんどない分、休日における貴重な二人のコミュニケーションの場だと思っている。

家族になる前からそうして過ごせて、夫も二人の時間を大切にしてくれて、この人は私に合っているなと思えた。

もちろん万事そうではない。夫が一人で何かする時は私も別の他のことをするし、私が他のことをすれば夫も他のことを。ずっと何もせず会話だけ楽しみましょうとしているわけではない。

なんというか、阿吽の呼吸と絶妙な空気感だ。

 

スマホ依存は結構なものだ。私もスマホがないと不便だなと真剣に思っている。だからこそ利用する場面を間違わないようにしないといけない。

 

相性って大事なんだなと思った午後だった。