若い時間はあっという間に過ぎていく
私は10代をテレビゲームと創作活動に費やしていた。創作は一次創作で、キャラクターを考え、ストーリーを考え、文章にしていた。その作品の殆どはノートに書いていたが、黒歴史として全て処分済みだ。
自分パソコンを持つようになってから、作品はキーボードを打つようになったので、広大なネットの海に未だ存在している。
時々残したままのホームページを見ては恥ずかしさと懐かしさに身悶えする。
普通の青春とは一体、どういうものなのだろう。
少なくとも私の考える青春時代とは、愛だの恋だの男女の出会い、スポーツや部活動に明け暮れ汗を流し仲間と分かち合うものだと思っている。
私にそんな時代はなかった。
私は友だちが少ない。
今でも定期的に連絡を取り合う間柄はおらず、なんでも話せる親友と呼べる人もいない。
用事がなければ送らないし、あちらも同じだろう。間違いなく私より友だちが多いはずだから、年に一度私を思い出せば良い方ではないだろうか。
だからといってそれを悲しいと思ったことはない。
私は付き合いの悪い人間を自覚しており、覚えていてくれるだけありがたいからだ。
10代の私はゲームをするのが忙しい。加えて創作活動するのに忙しかった。
典型的なお家大好き・一人大好きっ子で、外に出てアクティビティを楽しむとか、オシャレをして友達とカフェに行くとか、男女混合でカラオケやボーリングに行くとか、した覚えが片手程度しかない。
友達に彼氏ができたことすら知らないくらい、自分の世界に没頭していた。
それが悪かったと思ってもいないし、失われた青春時代を取り戻したいとも思っていない。私にとってそれはそれで楽しかったからだ。
確かに世界が狭く、コミュニケーション能力に欠けており、思いやりの足りない人間であった。
人間関係の何たるやを学ぶ時期が遅すぎ、加えて身持ちの固さと頭の古さもあって、長く続いた恋愛はないに等しい。夫との付き合い=付き合いの長さ最長である。
まあまあ悲しい思いをして、なんでこんなにわかってもらえないのだろうと苦悩した。原因がどこにあるかもわからず、自分の悪い点もよく見えていなかった。
若さゆえと言えばそうであるけれど、それ以前に自己中心的な性格が災いしていたと思う。
普通の人はこれを10歳位若いうちに経験しているのだから、大人の思考をしているのは当然だ。
自分の世界は悪いものではない。その時にしか出来ないことも多さは、今になってよく分かる。
しかし外の世界、対人関係もきちんと学んでいかなければならなかったと今では思う。
失敗も、若いうちにある程度は経験しておいたほうが、大人になった時のダメージが少ないだろう。恨み言ばかり思って、内にこもるような子供っぽさを大人になってまで残すこともない。
だから今も時々連絡をくれる友人を大切にしなければなと思う。
二人の心地よい時間とはそれぞれに違う
スマートフォンに夢中になっているカップルが隣りに座っていた。
家族と出先で食事をしようということで、近くにあったファミリーレストランに入った。息子はまだおすわりも出来ないが、ある程度の時間は静かにしていられるので、外食はあまりハードルが高くない。ましてやファミレスだ、平気で入れるところだ。
案内された席の隣りにいた二人客はメニューを見ていた。
注文が終わると、二人してスマホを取り出し画面とにらめっこをしていた。
その姿を見て、昔のことを思い出した。
私個人の主義として、二人きりの時はなるべくスマホを見ないようにしている。目の前の相手を放り出して一人の世界にこもるのが失礼だと思っているからだ。
二人ならば相手と会話をする時間であると思っている。もちろんする会話もないときだってあるけれど、他愛ない食事の話だとか、これからのことだとか、日常にあったことだとか、なんだかんだあるものだと思っている。
私自身会話をするのは苦手な方で得意ではないけれど、退屈ではない程度に過ごせていたと思う。
まあ、あくまで私の主義であって、相手には関係ない。
実母なんて平気でスマホを取り出してSNSやニュースを見ている。今やらなくてもいいんじゃないかと思うことをしている。自由人だ。
私はそれに慣れているし、実母だから特別なにも思わないけれど、そこまでして見たいものは何なのだろうと真剣に思う。友人が多い人だからこそ常々見なければ、追いつかないのだろうか。
友人が少ない私にはわからない世界の話だ。
ところで思い出した昔のことというのは、二人目に付き合った男のことだ。
少し年下だった。私のオタク趣味にも理解のある人で、相手もオタク趣味があった。相手を許容できるという意味で、居心地は悪くなかったと思っている。
けれども彼はスマホ中毒だった。何かあればスマホを見た。眼の前にいる私との会話や何もない時間より、スマホでゲームをするので忙しかった。
最終的に私は泣いた。お願いだから、二人でいる時にスマホばかりしないでくれ。ないがしろにされているようで気分が悪いと訴えた。
彼はとても素直な人なので、遠慮してくれるようになった。
けれどもその後、積み重なる気遣いのなさに私に事はどうでもいいと思っているのだろうと思えて仕方なく、別れた。
実際問題、二人いてどちらかが何かに夢中になっている時間に、残された人間は何をしていたら良かったのだろう。
偶然見たドラマで、二人それぞれ物思いに耽るシーンあり、ああなるほどな、と思った。
私は二人の時間というものを強要していたのだと気がついた。相手からしてみれば一緒にいるのだからそれで十分だったのだ。私がそれ以上、それ以外のものを望んでいたのだと。
私も一緒になってスマホに夢中になれて、ただ一緒にいる時間を過ごせたらまた違っていたのだろう…
とはいえ私はやはりこの主義を変えられない。
相手を置いて他のことに夢中になるのはできない。今でも夫が起きている時は、なるべくスマホをかまわないようにしている。
夫は何も思わないのかもしれないけれど、平日に時間がほとんどない分、休日における貴重な二人のコミュニケーションの場だと思っている。
家族になる前からそうして過ごせて、夫も二人の時間を大切にしてくれて、この人は私に合っているなと思えた。
もちろん万事そうではない。夫が一人で何かする時は私も別の他のことをするし、私が他のことをすれば夫も他のことを。ずっと何もせず会話だけ楽しみましょうとしているわけではない。
なんというか、阿吽の呼吸と絶妙な空気感だ。
スマホ依存は結構なものだ。私もスマホがないと不便だなと真剣に思っている。だからこそ利用する場面を間違わないようにしないといけない。
相性って大事なんだなと思った午後だった。
その一言を言う前に、ワンクッション置きましょう
しつこく言われると激しくムカつく。
具体的に言うと実母だ。
私の髪はロングで、息子が生まれる前から今もなおロングである。
切らない理由はたくさんある。
ショートが壊滅的に似合わない。おっさんになる。ボブは毛先が自由人なので髪の毛があっちこっちいく。いちいちヘアアイロンとか面倒くさい。赤ちゃんを抱える母親が現代において髪が濡れたままということはほぼないから、長かろうと問題ない。ひっぱられて痛い思いをするのはメガネでも同じだ。
息子からすれば、メガネ・ロングヘアーの私は掴みどころ満載のおもちゃでしかないだろう。
しかし眼鏡がないと本気で見えないし、ロングの弊害に関しては納得済みだ。
お風呂だって自分なりに工夫している。
最初に全てセッティングして、自分が脱いで、息子を脱がして風呂に連れ込んで、待機場所でいい子している息子を見ながらさっさと自分を洗って、息子を洗って、タオルに包んで息子を置いて、自分の水を軽く拭き取ったら下着だけ着て頭にタオルを巻いて化粧水つけて、息子の細かい所の水を拭いてローションなど手入れして、おむつ履かせて服着せてまた置いて、自分の頭を乾かせて、風呂場の軽い掃除(壁や床の水落とし)をして完了。
そうして息子を部屋に連れ戻す。
息子は本当にいい子なので一人で喋りながら待ってくれている。月齢が低いし、まだ勝手に動かないから余裕があるだけかもしれない。
だけど私は一人で出来ている。なんの問題もない。動き出したらまた考えればいいだけだ。
もう本当に、爆発しそうだ。会うたびに「髪切らないの」としつこいしつこい…すでに「しつこい、切らない」と言い返しているが、そのうち二度と来るなとか言ってしまいそうで怖い怖い。
切るのも切らないのも自由だ。
本人がそれでいいと言っているのだから、他人にどうこう言われたくない。自分の趣味を他人に押し付けるな。あなたにコントロールされるような年頃でもない。自立した大人です。
邪魔にならないように結んでいるし、ボサボサにならないように毛先の手入れや全体の手入れも合間を縫ってしている。
不潔だとかそういうことではなくて、単純に気に入らないのでしょうね。昔からそういう人でした。
ショートが好きだもんね…ロングにしてると暗いだの重いだのうるさい。あなたの主観に興味はない。
何もせずおろしてるんじゃなくて、アレンジしたり結んだりしています。その目は節穴か?
そういうことを実の娘だからしてしまうだけというのはわかっているけど、更年期にでもなれば本当の他人にしかねないから恐ろしい…母は一言余計だからそういうところが心配だ。
もうすでに更年期かもしれないけれど…
なんというか、やっぱり、里帰りしなくてよかったと心底思ってしまう自分がいる。
私も短気だから、滅多に会わないくらいが、本当にちょうどいい…
息子が大きい赤ちゃんであること
私の息子は大きい赤ちゃんだ。
私にはママ友という人達がいないので、本物の同月齢の他の赤ちゃんと比較することは出来ない。
以前からの友人に子供がいるが、既に大きいか、連れてまで会う人はいない。そもそも引きこもっていることに苦痛を感じていないので、会おうと思っていない。
社会と断絶された気持ちはない。逆に、復帰後の体調が不安である。こんな一日中食っちゃ寝、時々お世話とだらけた生活を1年近くして、果たしてまともに働けるだろうか…頑張らねば。
話は戻り、どうして大きいと分かるかというと、一つの指標となる成長曲線の図だ。
身長も頭囲も、グラフの中では大きめの部類だが、体重だけはずば抜けている。1ヶ月の頃から飛び出して、産まれたときからずっと大きい街道まっしぐらだ。
日割りで65g以上増えていた。
こう言うと、小さくて悩んでいるよりずっといいよ、大きい方がいいと言われる。ごもっとも、本当にそうですねと思う。
けれども大きいのは大きいので、悩みも心配事もある。だって、私も母親だもの。
私にとって息子は第一子で、今までに他の赤ちゃんの世話をしたことは一度もない。
だから赤ちゃんという生き物が一体どういうものなのか、文字や言葉でしかわからないのだ。
しかも赤ちゃんというのは、そういう文字や言葉があてにならないことが沢山あるということを、経験して知った。
息子は生まれてからすぐ食欲旺盛だった。
私もそれに応えるように出るタイプだったらしく、母乳のみで育てている。
経済的なのはありがたいが、2ヶ月になるまで乳首が切れてしんどい思いをした。
おまけに重いから、どんどん重くなっていくから、体は悲鳴をあげた。
もちろん軽い赤ちゃんでもずっと抱えていたり、慣れない体勢をとるから体に負担が来る。ただ、重いとそれが2倍3倍と負荷がかかるので、なにをしても体が休まらなかった。
抱っこ紐も辛いものがある。肩はもちろん腰にくる。これを抱えて家事するなんて、無理な気がする。現状家事をする時は、泣かない限り放置だ。
外に出る時は暖かくなってきたのでベビーカーが本当に役に立っている。
友人からもう使わないと言われて貰ったのだが、これが一番役立っている気がする。ベビーカーは買うつもりがなかったのだが、さすがに考えを改めた。どうみても必須でした。
本当にありがとう。
気がつくとおむつはLサイズ。顔もでかいしポヨポヨの体は相撲取りだ。赤ちゃんらしいと言えばそうだが、ムッチリしすぎて、服の横の限界が近づいてきている気がする。
70サイズはそろそろ終わりかもしれない。
残念ながら親は縦にも横にも大きくない。
そんな大きな息子と2人でいると「旦那さんは大柄なの?」と聞かれる。
残念、夫婦揃って普通だ。夫に関して言えば小柄だ。
加えて「動き出したらすぐシュッとするよ」と慰めのお言葉もいただく。耳にタコである。
まあ、息子だけが大きいわけではないし、そういうものだからそういうものだって思っている。
これからの成長が緩やかになるかもしれないし、親が大きくないから将来的に縦にも横にもそこまで大きくならないと思う。
大して気にしていないけれど、心残りといえば、ふにゃふにゃの赤ちゃん時代が少なすぎたことくらいだろうか。
テレビでふにゃふにゃの赤ちゃんを見るたびに、ないものねだりの感情が胸に広がる。
とりあえず深い意味はないにしても、大きいから楽でいいねとか、小さくて心配しなくていいねとか、あまり言われたくないなと思っている。
赤ちゃんを抱える期待と不安は同じはずだから。
妊娠中、産後の食事制限のはなし
妊娠中、産後、食事を気をつけねばならない。
実のところまるで知らなかった。普通は子供がほしいと思った時点で色々しなければならないということを、インターネットで見てびっくりしたものだ。
今にしてみればあくまで心がけであり、そうしたから大丈夫というものではないことはわかっているけれど。
正直、調べるまで何が良くて何が悪いか、ぼんやりとしか知らなかった。
CMでも商品にも記載されているのでアルコールは避けるべきということは知っていた。あとはコーヒー。
私の知識はその程度で、妊娠がわかってからようやく重い腰を上げた。
神経質に守っていない。
毎朝のカフェオレは欠かせないのでカフェインレスに替えた。チョコレートはいつもどおり食べている。緑茶は出先で出されるもの以外は飲んでいない。紅茶もカフェインレスにした。あと普段のお茶は麦茶にした。
ジュースは特別断っていない。ケーキもお菓子もいつもどおり食べた。
魚介類は好きではないので今まで通りにしている。寿司も刺身も縁遠いから気にするだけ無駄だ。
和食中心と言われるほど食事に気をつけていない。作るものが和食寄りの手抜き飯ばかりなので、時々の揚げ物はスパイス程度に。カレーは普通に食べた。
これは産後も続いている。
産後は、生クリームなど洋菓子を避けないと乳腺炎になると言われている。私には眉唾情報でしかなかった。私の一度きりの乳腺炎は情報に翻弄されて、左右の母乳の与え方が下手だったからだ。
パン、甘いもの、油もの、香辛料の多いものを食べると母乳がまずくなると言うけれど、特に制限しなかった。息子は母乳拒否をしたことなど一度もない。常に食欲旺盛だった。
これは私の持論だが、海外の妊婦産婦は和食をしているのか?ということ。世界中に妊婦産婦はいて、その場所での食事がある。
もちろん体にいいものを取るべきだと思うが、ガチガチに締め上げてストレスになっては意味がないと思う。リラックスできる方がずっと体にいいのではないか?
大丈夫なら気にしなくてもいいと思う。
自分ルールを守りたいなら頑張るしかない。
そういえば私の友人のところは、夫が普通にお酒を飲む人だそうで、本人も飲む人だから結構なストレスになったと言っていた。
だから非常に水で薄くして、時々飲んでいたと言っていた。
聞いた時、妊娠中でもなかったからそれはそれは驚いたものだ。そこまでして飲みたいのかと。水割りお湯割りで薄くなった味が好きではないから、飲む意味があるのかと。
経験してから思うに、それくらいなら時々くらい、いいんじゃないかなと。
自分も飲めて好きなのに我慢しているところ、目の前で当たり前のように飲まれるストレス、絶対半端ないくらいのものだっただろう。
私の場合は夫が飲めない人なので少しのストレスもなかったが、これが飲める人だったら…想像するだけで恐ろしい。
もちろん人それぞれということは忘れてはならない。
母親の体質、子供の傾向、千差万別で同じようにはならないから、少しずつ試してみるとか、調子が悪いならやめてみるとか、そういう臨機応変な行動が大切ではないだろうか。
まあ、今もまだまだ経過途中でなんとも言えないけれど、もしかしたら食事をちゃんと管理しなかったから、息子が胎児の頃からずっと大きめで成長し続けているのかもしれない。
きっちり守っていたら標準だったのかなと思うと頑張っても良かったかもしれないけれど、食事くらいは好きにしたいなと思う。
楽しみのひとつくらい、欲しいものね。
後悔するくらいなら我慢して損はないと思う。
でも、我慢しすぎてストレスも、体に良くないと思う。