好き嫌いが多い人間は、子供にどうするか

なかなか難しい問題が私の前に待ち受けている。

 

通常の食事という問題。

私の息子は未だ離乳食を始めていない。そのうち始まる予定だが、まだ、離乳食の段階では心配していない。

一番恐れなければならないのは通常の食事に移行した後なのだ。

 

私は好き嫌いが多く、食べたくないものは食べない主義だ。

夫は好き嫌いが基本ない。確か、生レバーか、焼いたレバーのどっちかが嫌いだと言っていた。

だから私は自分が嫌いであっても、夫が好きだったり、嫌いではないものも定期的に出すよう心がけている。

 

魚はそれほどでもないけれど、捌きたくないので切り身で買う。基本焼き魚ばかりでレパートリーもないが、ありがたいことに文句を言ってこない。時々フライにする。

きのこは焼いた臭いすら嫌いだが、我慢して調理する。本当は触るのも嫌だ…あのカサの部分が気持ち悪くてたまらない。

以前貰い物のカニの胴体を開けた時は気持ち悪くてたまらなかった。あのビロビロの部分と、口が受け付けなかった。食べなくても死なないから二度と解体したくない。でも夫は好きなんだよな。

くれるなら、解体して、身だけください。

 

それでも頑張るのは夫のためだ。夫は私に良くしてくれる。だから私に応えられる形で努力をするのだ。

 

料理は私の担当である。

夫は一人暮らしをしていたので全く出来ないことはないが、大抵やり方がわからないとか、なんとか言っている。

けれども餃子を作る時は手伝ってくれるし、手抜き味噌汁の作り方はマスターしてくれた。

 

現在育休中だが、働いていた頃は残業がなければ、私の方が遅いことがほとんどだった。夫は掃除をして、洗濯物を畳んで、私の帰りを待っていた。

私が一番嫌いな家事の掃除を99%やってくれるから、疲れていても料理をすることは苦ではなかった。作り置き料理に嫌悪感も持たずにいてくれるし、なにより手抜き料理をおいしいと言ってくれる夫は仏様かと思う。

 

だから、子供の食育も私の仕事であると思っている。

好き嫌いがある、私の、仕事であると。

 

作ることは問題ない。頑張れるから。だけど、子供に、私の好き嫌いを悟られない努力が必要なのだ…

 

子供は聡いから、きっと私の食事が、自分たちとは何かが違うことに気がつくであろう。

なんでお母さんのお皿にはきのこが乗っていないの、お魚食べないの、とか。

今からどうやって誤魔化せばいいのだろう。例えば二人きりの時にどうやってきのこを食べさせればいいのだろう。

できれば息子には夫のような人になって欲しい。好き嫌いをして面倒くさい私のようには絶対なってほしくない。そして将来の伴侶に楽な人だと思わせてあげたい。

今からそんな先のことを考えるのは馬鹿みたいだが、本気でそう思っている。だって私が楽だから。

 

先輩方の食事努力を今からネットで漁る每日である。

 

 

intoabox.hateblo.jp

 

食事の好き嫌いに対する、好き嫌いが多い人間の意見

私は好き嫌いが多い。

アレルギーはきちんと診てもらったことがないが、松茸で蕁麻疹になったことがある。

病院で処置をしてもらい、おそらくアレルギーと診断された。それも20年近く前の話なので、今の診断はどうだろう。

 

アレルギーは食べたくても食べられない。

しかし好き嫌いは食べられないではなくて、食べたくない、だから厄介だ。

 

私は子供の頃から、魚、貝、レバー、きのこ、酢飯、ビーフン、餡、などなどとにかく嫌いなものが多かった。だから食わず嫌いも多い。

おいしいカレーもシチューも、シーフードはゲテモノ扱いになる。

きのこが入っているだけ発狂しそうになる。あんな菌糸類、食べなくても死なない。

 

同居家族の中で偏食しているのは私と父方の祖母だけだったらしいので、食育の問題ではない。個性の問題だと思う。母親は相当面倒くさかっただろう。

しかし当時の私にしてみれば、嫌いだし、まずいし、食べたくないものばかり出されて心底悲しかった。食事が嫌いになることはなかったけれど、嫌いなものが出ているときは食事が苦痛でしかなかった。家でも、給食でも。

 

それがピタリと止んだのは松茸で蕁麻疹になった時。

家で、私の嫌いなものを無理に食べさせることはなくなった。開放された瞬間だ。

 

そういうわけで、私は好き嫌いをする残念な大人である。

 

大人になると舌が変わる。

よく聞く言葉だ。

半信半疑に思っていた私は、成人して数年、心底驚いた。美味しいと感じるものが増えたのだ…

 

嫌いだったアンパンがおいしい、和菓子がとまらない。アボカド丼の酢飯は最高だと思う。

未だにおいしいとは思わないけれど焼魚とフライ魚が普通に食べられる。

皆のごちそうというイメージの、私には地獄の寿司屋。これに行って注文できる。

近年の回転寿司屋の多様性は、私の中の敷居を下げてくれたが、それ以前の問題だ。

 

嫌いなものも食べなければいけないという謎の食育。

好き嫌いをする私にとっての完全な偏見だが、子供の頃、心の底から理解できないことのひとつだった。

嫌いなのだ、まずいのだ、舌が、脳が、体が拒否しているのだ。おいしいと思う人が食べればいいじゃないか!モッタイナイ。

別段まずいとは思わないけれどカニやイクラはおいしいと思わない。それなのに私の前にも出される。本当にモッタイナイ。

今になって思えば、様々な食事に触れるという点で間違った行動ではないのだが、本当に理解できなかった。

 

好きだ、おいしいと思う人が食べてこそ食べ物は浮かばれるのではないか?

食事に感謝しましょうと言うけど、おいしいと思わない人に食べさせて、果たして食べられた食事は浮かばれるのか?

私はそう思わない。いい年した大人だから、強要されるのは食事への感謝に対して無意味に等しい。

そもそも私の場合、米と野菜と果物と鶏肉さえ食べていれば栄養的にクリアできるし、そういう質素な食事の方が好きだから、贅沢病とは違うと思う。

生涯で触れる機会がなくてもおかしくない高級食材に興味はない。

 

だからというわけではないけれど、好き嫌いの多い子供を持っている親御さんに言いたいのだが、アレルギーではないなら嫌いなものは程々に食べさせて、大人になるのを待ってあげて欲しい。

多分、勝手に食べられるようになるから。

大人になっても食べられないのであれば、そもそも体に必要にないものだと思うから、放っておけばいい。自己責任だ。

 

好き嫌いがある人は、慎ましく生きよ。

大人になっても好き嫌いの残っている私の外食事情だが…

実家ぐらしの頃は時々混入されていてもそっと避けて食べればよかった。

一人暮らしを始めてからは全く食べなくなった。ちなみに至って健康体でした。外食で混入されていたら、申し訳ないが残した。

 

今は夫がいるので、食べたくないものが混ざっていたら、彼のお皿にそっとのせる。何も言わず食べてくれる優しい人だ。嬉しくて涙がでる。

だから私は食べたくないもの、たとえば魚料理やキノコ料理を自宅で作る。においの時点で嫌いだからノックアウトされそうだし、味見ができないが、夫のためだけに作る。味見しなくてもいいようにレシピ通りか、適当な時は夫に味見をしてもらっている。

 

もちろんの話だが、好き嫌いが多いので外食の幅が狭い。

だから、誰かと一緒に行くときは、相手に任せる。そしてその店で食べられるものを探し選ぶ。

それくらい慎ましくした方がいいと真剣に思う。

私アレ食べられないからイヤ~って言い続けられて、相手がどう思うかを考えない好き嫌いがある外道人間とは、同じ人間扱いされたくないものである。

実家から出ること

私が一人暮らしを始めたのは24の時だった。

母親から25までに独立しろと言われていたのを真に受けて、不動産に一人で行って条件に合う部屋を探し、書類を父親に書いてもらって出ていった。

 

母親がそう言うに至る背景がある。

上げ膳据え膳で実家で暮らし、いつまでも何も出来ない子供扱い。そういう家を見てきたからこそ、自分はああはするまいと思ったそうだ。

 

私は実家で暮らしている頃、状況が動かない限り、かなり上げ膳据え膳を満喫させてもらった。

考え方が甘く、いつまでも子供をしていた。

親の束縛は強くなく、進学の際に意見を言ってきたことはない。好きなことをしなさいと、わりと放任主義だったと思う。

それでも地元を離れずずっと実家に居続けていたのは、やはり精神的な幼さからくるのではなかろうか。

親の言うことを真に受けて飛び出したのは、私の頭の中の甘えの部分を断ち切るいいきっかけになったと思っている。

そのまま実家に居続けていたら、今の私は存在しない。バカな意味で真面目で良かったと思う瞬間だ。

 

同じ生育環境にありながら、私の兄は高校卒業とともに進学で県外に出て、それから一度も帰ってこない。

今も盆正月に帰省すればいいほうだ。

兄は私と違って自立心が高いのだろう。実家に縛られず、囚われず、自らの行きたい方向へ飛び出していった。

 

時々、親が心配だから、と言いながら、一人暮らししたいなぁ…と愚痴るだけの人と話すことがある。

私からしてみればさっさと出ていけばいいのにと思う。しかし彼らは親が心配だから出れないよ~と言う。

家中の家事をして、メインとなっている人、助けている人。これはほんとに大変そうだなと同情する。家を出るタイミングを見失うと出ることができなくなるから。

しかも出たとしても帰ることがある。親思いの優しい子供だなと思う。私は薄情なので、何があろううと帰ろうと思わないけれど。

 

しかしいかがなものかと思うものに、心配という建前で、結局老いた親に上げ膳据え膳させている人。これは本当に、同情の余地がない。

 

いつだったか友人に紹介された男にこういう男がいた。

「うちの親は料理が焼くだけで、おいしくもない」

じゃあお前が作れよ。私は心の中で呟いた。

その男は私より少し年上だった。実家で上げ膳据え膳、そこから仕事に行く。正社員になると責任が増すから、ゆるく生きたいと言っていた。ちなみに登用制度はあるらしいが、色々と面倒だからとしないままらしい。

半分くらいは同意する気持ちはある。私も契約社員だから。けれども完全同意は出来ない。

チャンスがあるなら挑めばいいのに。そうすることで世界観が広がって、卑屈な態度を私に見せなくて済むのではないか?

 

そもそも初対面で、飲食店で、帽子を脱がずにそのままはどうかと思う。そういうところに育ちの悪さを感じた。

自立という言葉を知らぬまま育った、三文安の温室育ちだろうか。

  

また違う男がいる。

家で、自分のことは自分でする、料理も掃除も洗濯も。親との仲は悪い。兄弟ともよくない。だけどでない。

愚痴だけはもう本当に一人前で、そこまで愚痴るなら出ればいいのに。そうしたらストレス源から離れられるし、ほんとうの自由だし。本気で私はそう思っていた。

おそらくだが、彼は家を出る気がさらさらないのだろう。そもそも仲が悪いというのも実は半分くらい嘘なのではないだろうか…これは質の悪い口だけ男だ。

 

タイミングを失う前に、状況が許すなら、出られる時に出てしまえ。

縛り付ける親もどうかと思うが、自分が理由にする親や家族の心配は、出てしまっても心配するほどのことではなかったりする。

”いつまでもあると思うな親と金”という言葉があるように、いつかは子供は一人で放り出される。だから、できればなるべく早く自立するべきだ。

それは私の経験からくるものであるけれど、最後の機会である20代のうちに飛び出せなければ、よほどのことがない限り色々なものが重しとなって、更に動けなくなる。

 

とりあえず迷う気持ちがあるなら、近所でいいから出てしまえばいい。

なにも遠距離に行かなくても、徒歩一分の近場でも十分なのだ。親の言う心配も、自分の思う心配も大概大丈夫だから。

 

お金の心配も、身の丈にあった暮らしをすればいい。それができないのはかなり幼稚だと思う。

もちろん発達の問題で難しい人はいると思うけれど、そうでないのに出来ないのは甘えだ。

遊びに使えない?お金が貯まらない?

やり方が間違っているのではないでしょうか。今一度、見直しましょう。

里帰りの選択肢は現代において好き好きでしょ

里帰りってなんだろう。

私は産まれたところから特別動いていない。実家は車で20分のところにある。一人暮らしをしても、結婚してもその距離にある。

 

妊娠が確定した時、今後の生活はどうするかなとぼんやり考えた。

夫婦二人暮らしの賃貸で、静かに暮らしていけるかは不安だが、ファミリー層向けの賃貸なので、以前から外に出ると赤ちゃんの声が聞こえていた。

部屋の中にいると、上階の足音物音しか聞こえないから、結構静かな環境にある。

そこまで神経質にならなくても大丈夫そうだ。

実際お隣さんにも数ヶ月後赤ちゃんがやってきたが、一度しか鳴き声を聞いていない。それもお隣の窓の近くを通ってようやく聞こえた。

 

お腹が大きくになるにつれ、人から聞かれることが定番化してきた。

「里帰りはするの?」

これが結構面倒くさい…

一番のストレスはコレだった。

 

私は絶対に里帰りがしたくなかった。

もちろん産後の体調如何ではするべきだと思う。しかし通常の状態であれば、絶対に、絶対にしたくない。

家族仲が特別悪いわけではない。実家にいれば上げ膳据え膳でいられただろう。

夫だって時期的に、産まれてから仕事がじわじわ忙しくなってくると言っていた。

けれども帰る選択肢はない。私の心の平和を思うと、絶対に帰ってはいけなかった。

 

私は面倒くさい人間で、わかっていることを他人にあれやれこれや言われ続けると物に当たりたくなるくらい苛立つ。それがたとえ、血の繋がった身内という名の他人であってもだ。

その上一人暮らしに慣れていたから、実家に戻るということがどれほどのストレスになるか想像がついていた。

 

加えて実母は一言多い。なんでそんな発言する必要がある、と、思うことが多々ある。時々常識も疑う。普通の社会人をしているのに…

ひとつの例だが、産前から今現在もロングヘアの私にしつこく「髪を切らないの?」と言い続けてくるのは本当に苛立つ。切らないと返し続けているのに本当にしつこい。そんなの私の自由だろう。そのうち爆発するかもしれない。

確実に私のストレス源になる。だから理由は告げずに里帰りはしませんと宣言した。

母はそういうところはさっぱりした人間なので、わかったと言った。咎めも引き止めもしない。そういうことろは好きだ。

子供が産まれてからも連日詰めかけることもないし、程よい距離感は本当にありがたい。

 

「里帰りはするの?」

いいえしません。血の繋がらない他人にそう言うと驚かれる。ああ、ここは本当に田舎だなと思う瞬間だ。

車で20分の距離なら里帰りしなくても来たい時に来れるから、わざわざする必要がないと言うが、産後は大変だよ~と脅しにかかってくる。

もちろん彼女らは経験者だからの発言なのだろうが、その大変の部分は何にかかるのだろうか。

未経験で未知の世界に踏み込もうとする私の楽観的な部分は、ある意味危険を冒そうとする冒険者なのかもしれないが、私には大丈夫だと思う理由があった。

 

夫は料理以外全部できる。そう、一番の身近な家族がなんでもしてくれる。

結婚後のある時、熱がでて立っているのもしんどいので早退しましたとメールで告げた時、彼はパウチのお粥を買って帰ってくれた。

普通の気遣いができるのだ。

そういう人だとわかっているから、大丈夫だと思っていた。

 

実際大丈夫だった。率先して新生児の世話をし、あやしてくれた。

産んだ直後だったのでなんとなくとられた気分になったが、そこは必死で飲み込んだ。私の負担を軽減してくれようとしているのだし、夫にとっても自分の子供なのだから当然のことだ。

3人暮らしになってからも一緒の部屋で寝て、夜中に泣き出した時になだめてくれたり、本当によくやってくれた。仕事があるから大変だろうに、そういう弱音は吐かなかった。素晴らしい人だと心底思う。

 

里帰りをしない一番の理由がある。

父親から子供を取り上げたくなかった。

一緒にいられる環境にあるのに、一緒にいない理由はない。

妻の実家に気を遣って子供に会いに行かねばならないなんて、父親がかわいそうだ。自分の子供なのに。

 

環境と、産婦の状態がいいならしなくても大丈夫。

ストレスは少ないに越したことはない。もし迷っている人がいたらそう言ってあげたい。

 

 

最後に、実家と現在の住環境を比べたら快適さはどう考えても現在である。

実家の古さは目をつぶれない。

腰の重い女の婚活

私は婚活をした人間だ。

日常で出会って恋愛して結婚なんて到底無理だ。そもそも日常の出会いとはいかなるものか?

 

学生時代は共学だったが、男女比率が1:9くらいのほぼ女子校だった。

そんな中にいる男は基本もてる。逆も然り。そういう男の彼女は大抵可愛い。

写真を振り返っても不細工な私が、同校の誰かと恋愛関係になれるはずもない。ましてや他校に出会いがあるかといえば更にありえない。誰が好き好んで外見も中身も不細工な私に惚れてくれるか。

私はゲームとパソコンが大好きなオタク街道まっしぐらだったので、少しも気に留めていなかったが。

 

ようやく三次元に興味が出始めた二十代半ば、婚活までは考えていなかったが、誘われたら積極的に出会いの場に出ることを覚えた。人並みに彼氏欲しいとか考えたのだ。

出会いがないと嘆く人間は、出会いの場所に出ていないことが多い。私なんて~、怖いし~、自然じゃない出会いは嫌だ~…なんて馬鹿なことを言っていないで、人としての経験値を上げるために積極的に出るべきである。それでなくても出遅れている人間が躊躇するなんて、一生独身宣言しているのと同じだ。

顔面偏差値の低い私でも、とりあえず出会うことは出来た。残念ながら性格の問題で長続きしなかったが、最初の一歩が踏み出せると、案外怖くないものである。

 

まずは、安く酒が飲めるご飯が食べられる程度に考えればいいのだ。大抵は女の子価格でしか徴収されない。

現在の若者がどうかは知らないが、男性には見栄がある。一対一でないのなら、大体快く多めに出してくれる。

先に進む進まないは別として、参加することに意義がある

これは婚活にも言えることだ。怖いのは最初だけ、後は結構楽しいし、疲れるだけだ。

 

合コンや友人からの紹介で付き合うに至った人は何人かいる。が、その倍以上の人とあった。

それこそ自分の価値観とプライドをボロボロにされるような相手に会ったこともある。その程度の人間と言えばその程度なのだが、実際問題結構精神的にくる。

いい男が売れ残っているはずがないのは当たり前なのに…私自身もそうだが、残り物はなぜこんなモノを紹介しようと思ったのかとわかりかねるレベルである。

第三者から見ればお似合いなのでしょうね。

 

いつまでも待っていてもダメだ。

友人が少ない私には、紹介される人間にも限りがある。紹介する人だって、限界がある。

そこで私はようやく自らの力で動くことにした。もう30だった。

初めての婚活は、清水の舞台から飛び降りる気持ちで一人で行った。結婚相談所ではなく、ネットでの気軽なお見合いだ。残念ながらこの人とは2回目はなかった。あちらからお断りされた。

 

2回めの婚活は婚活パーティーだ。これも一人で行った。本当は独身友人も誘ったのだが、予定が合わなかった。

これは本当に緊張した。家に帰ってから自律神経が乱れて、心臓はバクバクいうし、体中熱いし、眠れないし、ちゃんと食べていたのに一日で2キロ痩せた。意味がわからない。

 

けれどもこれで私の婚活ハードルがかなり下がった。

それから数回のパーティー参加はとてもリラックスした気持ちで挑めた。成果はないけれど、楽しい人認識してもらうくらいに気持ちに余裕があった。

 

自然な出会いは幻想。

自然な出会いなんて、そうそうあるものではない。

出会えたとして相手は自分を運命の人と思ってくれるほど、魅力的なのか?

 

無責任な周りの人間はお世辞でかわいいよ~、いい出会いあるって~と言ってくる。信じてはダメだ。安直な慰めの言葉なのだから。

人間顔ではないと言うけれど、そういう自分は第一印象である程度判断していないか?全くしていない人は絶対いないと思う。婚活なんて文字情報と第一印象ではないか。

 

のんびりしていないで、馬鹿なことを言っていないで、考えていないで、さっさと動け。

あの頃の若い自分に言いたいことは、それだけ。