里帰りの選択肢は現代において好き好きでしょ

里帰りってなんだろう。

私は産まれたところから特別動いていない。実家は車で20分のところにある。一人暮らしをしても、結婚してもその距離にある。

 

妊娠が確定した時、今後の生活はどうするかなとぼんやり考えた。

夫婦二人暮らしの賃貸で、静かに暮らしていけるかは不安だが、ファミリー層向けの賃貸なので、以前から外に出ると赤ちゃんの声が聞こえていた。

部屋の中にいると、上階の足音物音しか聞こえないから、結構静かな環境にある。

そこまで神経質にならなくても大丈夫そうだ。

実際お隣さんにも数ヶ月後赤ちゃんがやってきたが、一度しか鳴き声を聞いていない。それもお隣の窓の近くを通ってようやく聞こえた。

 

お腹が大きくになるにつれ、人から聞かれることが定番化してきた。

「里帰りはするの?」

これが結構面倒くさい…

一番のストレスはコレだった。

 

私は絶対に里帰りがしたくなかった。

もちろん産後の体調如何ではするべきだと思う。しかし通常の状態であれば、絶対に、絶対にしたくない。

家族仲が特別悪いわけではない。実家にいれば上げ膳据え膳でいられただろう。

夫だって時期的に、産まれてから仕事がじわじわ忙しくなってくると言っていた。

けれども帰る選択肢はない。私の心の平和を思うと、絶対に帰ってはいけなかった。

 

私は面倒くさい人間で、わかっていることを他人にあれやれこれや言われ続けると物に当たりたくなるくらい苛立つ。それがたとえ、血の繋がった身内という名の他人であってもだ。

その上一人暮らしに慣れていたから、実家に戻るということがどれほどのストレスになるか想像がついていた。

 

加えて実母は一言多い。なんでそんな発言する必要がある、と、思うことが多々ある。時々常識も疑う。普通の社会人をしているのに…

ひとつの例だが、産前から今現在もロングヘアの私にしつこく「髪を切らないの?」と言い続けてくるのは本当に苛立つ。切らないと返し続けているのに本当にしつこい。そんなの私の自由だろう。そのうち爆発するかもしれない。

確実に私のストレス源になる。だから理由は告げずに里帰りはしませんと宣言した。

母はそういうところはさっぱりした人間なので、わかったと言った。咎めも引き止めもしない。そういうことろは好きだ。

子供が産まれてからも連日詰めかけることもないし、程よい距離感は本当にありがたい。

 

「里帰りはするの?」

いいえしません。血の繋がらない他人にそう言うと驚かれる。ああ、ここは本当に田舎だなと思う瞬間だ。

車で20分の距離なら里帰りしなくても来たい時に来れるから、わざわざする必要がないと言うが、産後は大変だよ~と脅しにかかってくる。

もちろん彼女らは経験者だからの発言なのだろうが、その大変の部分は何にかかるのだろうか。

未経験で未知の世界に踏み込もうとする私の楽観的な部分は、ある意味危険を冒そうとする冒険者なのかもしれないが、私には大丈夫だと思う理由があった。

 

夫は料理以外全部できる。そう、一番の身近な家族がなんでもしてくれる。

結婚後のある時、熱がでて立っているのもしんどいので早退しましたとメールで告げた時、彼はパウチのお粥を買って帰ってくれた。

普通の気遣いができるのだ。

そういう人だとわかっているから、大丈夫だと思っていた。

 

実際大丈夫だった。率先して新生児の世話をし、あやしてくれた。

産んだ直後だったのでなんとなくとられた気分になったが、そこは必死で飲み込んだ。私の負担を軽減してくれようとしているのだし、夫にとっても自分の子供なのだから当然のことだ。

3人暮らしになってからも一緒の部屋で寝て、夜中に泣き出した時になだめてくれたり、本当によくやってくれた。仕事があるから大変だろうに、そういう弱音は吐かなかった。素晴らしい人だと心底思う。

 

里帰りをしない一番の理由がある。

父親から子供を取り上げたくなかった。

一緒にいられる環境にあるのに、一緒にいない理由はない。

妻の実家に気を遣って子供に会いに行かねばならないなんて、父親がかわいそうだ。自分の子供なのに。

 

環境と、産婦の状態がいいならしなくても大丈夫。

ストレスは少ないに越したことはない。もし迷っている人がいたらそう言ってあげたい。

 

 

最後に、実家と現在の住環境を比べたら快適さはどう考えても現在である。

実家の古さは目をつぶれない。

腰の重い女の婚活

私は婚活をした人間だ。

日常で出会って恋愛して結婚なんて到底無理だ。そもそも日常の出会いとはいかなるものか?

 

学生時代は共学だったが、男女比率が1:9くらいのほぼ女子校だった。

そんな中にいる男は基本もてる。逆も然り。そういう男の彼女は大抵可愛い。

写真を振り返っても不細工な私が、同校の誰かと恋愛関係になれるはずもない。ましてや他校に出会いがあるかといえば更にありえない。誰が好き好んで外見も中身も不細工な私に惚れてくれるか。

私はゲームとパソコンが大好きなオタク街道まっしぐらだったので、少しも気に留めていなかったが。

 

ようやく三次元に興味が出始めた二十代半ば、婚活までは考えていなかったが、誘われたら積極的に出会いの場に出ることを覚えた。人並みに彼氏欲しいとか考えたのだ。

出会いがないと嘆く人間は、出会いの場所に出ていないことが多い。私なんて~、怖いし~、自然じゃない出会いは嫌だ~…なんて馬鹿なことを言っていないで、人としての経験値を上げるために積極的に出るべきである。それでなくても出遅れている人間が躊躇するなんて、一生独身宣言しているのと同じだ。

顔面偏差値の低い私でも、とりあえず出会うことは出来た。残念ながら性格の問題で長続きしなかったが、最初の一歩が踏み出せると、案外怖くないものである。

 

まずは、安く酒が飲めるご飯が食べられる程度に考えればいいのだ。大抵は女の子価格でしか徴収されない。

現在の若者がどうかは知らないが、男性には見栄がある。一対一でないのなら、大体快く多めに出してくれる。

先に進む進まないは別として、参加することに意義がある

これは婚活にも言えることだ。怖いのは最初だけ、後は結構楽しいし、疲れるだけだ。

 

合コンや友人からの紹介で付き合うに至った人は何人かいる。が、その倍以上の人とあった。

それこそ自分の価値観とプライドをボロボロにされるような相手に会ったこともある。その程度の人間と言えばその程度なのだが、実際問題結構精神的にくる。

いい男が売れ残っているはずがないのは当たり前なのに…私自身もそうだが、残り物はなぜこんなモノを紹介しようと思ったのかとわかりかねるレベルである。

第三者から見ればお似合いなのでしょうね。

 

いつまでも待っていてもダメだ。

友人が少ない私には、紹介される人間にも限りがある。紹介する人だって、限界がある。

そこで私はようやく自らの力で動くことにした。もう30だった。

初めての婚活は、清水の舞台から飛び降りる気持ちで一人で行った。結婚相談所ではなく、ネットでの気軽なお見合いだ。残念ながらこの人とは2回目はなかった。あちらからお断りされた。

 

2回めの婚活は婚活パーティーだ。これも一人で行った。本当は独身友人も誘ったのだが、予定が合わなかった。

これは本当に緊張した。家に帰ってから自律神経が乱れて、心臓はバクバクいうし、体中熱いし、眠れないし、ちゃんと食べていたのに一日で2キロ痩せた。意味がわからない。

 

けれどもこれで私の婚活ハードルがかなり下がった。

それから数回のパーティー参加はとてもリラックスした気持ちで挑めた。成果はないけれど、楽しい人認識してもらうくらいに気持ちに余裕があった。

 

自然な出会いは幻想。

自然な出会いなんて、そうそうあるものではない。

出会えたとして相手は自分を運命の人と思ってくれるほど、魅力的なのか?

 

無責任な周りの人間はお世辞でかわいいよ~、いい出会いあるって~と言ってくる。信じてはダメだ。安直な慰めの言葉なのだから。

人間顔ではないと言うけれど、そういう自分は第一印象である程度判断していないか?全くしていない人は絶対いないと思う。婚活なんて文字情報と第一印象ではないか。

 

のんびりしていないで、馬鹿なことを言っていないで、考えていないで、さっさと動け。

あの頃の若い自分に言いたいことは、それだけ。

掃除はしなくても死なない

子供の頃、母親と会話をして言ったことがある。

その当時の私は料理はお手伝いまでで、しかも年齢が上がるとともに手伝いも嫌で全くしなかったので、「料理できる人と結婚するもん!」とか、夢物語を口にしていた。

 

私は24歳まで実家暮らしをしていた。

10代の頃から「25には家を出てね」と母親に言われており、今思うと脅しでも追い出しにかかっているわけでもない、単純に実家依存せず自立しろという意味合いの発言だったのだろうけど、根がバカな意味で真面目な私は25までに家を出ないとと思って、24の時に暮らす部屋を見つけて書類を揃えて父親にハンコを請求した。

この時の父親はどんな気持ちだったのだろう…少なくとも父親から自立しろの一言も言われたことがない。

父親は特に何も言わず、ハンコをしてくれた。引っ越しも手伝ってくれた。実家から車で20分ほどの場所だが、父親が私の一人暮らしの部屋に来たのは、母親が入院する時の別世帯の保証人のサインが欲しくて来た時一度だけである。

 

以前にちらりと書いたが、私は契約社員として働いている。ありがたいことにボーナスも年2回支給され、贅沢をしなければ貯金しながら一人暮らしをするに足りる給料を得ていた。

一応、一人暮らしを始めるにあたってどれくらい月にかかるか計算した。一番大事にしたのは会社に近いこと、それからネットができること。

裕福ではないけれど、自分だけのための一人きりの空間は最高だった。 

 

 実家暮らしの20代の頃、祖母が入院し、母親が手伝いをするために少々不在がちになった。私はバカな意味で真面目なので、母親と祖母が出来ない分、料理をしないといけないと思い込んだ。

それから実家を出るまで週に何度か私が当番をした。

今思うとあまちゃんだし、して当たり前だと思うのだけど、私はすごくやってやってる感があったと思う。料理も洗濯もしない父親と兄弟がいたからそんな気持ちになるのは仕方がない。

私は全く料理ができない人だったので、料理本を見ながら頑張った。

とはいえ本を見ながらの料理なので、量の調節ができない。母親から年月が経って聞かされたが、父親と兄弟は、足りないイマイチと思いつつも全く文句を言わなかったらしい。言ったら作ってくれなくなるからと。

文句を言うなら食うな。よく言っていた記憶がある。

 

一人暮らしを始めてからは自炊をした。少ない給料で豊かな生活をおくるためである。

残業なし、時間にある程度余裕がある仕事だから出来たと思う。食に対する強いこだわりもないので、野菜多めの食事を心がけるくらいで味を変えて毎日同じものを食べた。

レパートリーはさほど増えなかったが、作り置きをいかに手抜きで作るかということに情熱を捧げた。

それは現在に役立っている。

 

そういう経緯で料理はすることに抵抗がなくなった。

しかし問題が残る。

 

私は掃除が苦手である。

食事はしないと死ぬし、洗濯はしないと汚いし臭いからしなければならない。

しかし掃除はしなくても死なない。だからしない。

 

掃除らしい掃除を、一人暮らしをしていた数年でした記憶は片手に収まる。

ゴミが出たらちゃんとゴミ箱に捨てたし、ゴミも週に一度出していたし、人が来るような部屋ではなかったので、困らなかった。

基本的に、困り始めたら掃除を仕方なくしていた。

 

お風呂の排水口は流れが悪くなったのに気がついた時にはじめて掃除をした。住み始めて数年経っていたと思う。びっくりするような汚れを目にしてしまった。目が汚れる。

水口ネットなどはめて髪の毛を集めるようにして、パイプクリーンの洗剤を流し、掃除の回数を減らす努力をした。

台所の流しはさすがに定期的に洗っていたが、一般人から見れば掃除が足りないレベルだと思う。週に一度していたら良かったかな?

掃除機はかけなかった。持っていないもの。その代わりフローリングモップとコロコロとハンディワイパーで対処をした。大丈夫、病気にはなりません。

テレビで見るような汚部屋なるまいと、服は床に置かない。使ったものは元の場所に戻す。このくらいは徹底した。

だから基本的に困っていなかった。大丈夫、本当に、大丈夫。

 

ところで現在育休中の私なのだが、結婚してから掃除はどうしているのか?

答えは簡単だ。私は、掃除をしていない。

掃除の全てを夫が担ってくれている。なんと夫は、お掃除王子(笑)だったのである…。

午前様が続いて、ようやくの休みの日の朝から掃除機をかけるのだ。家具をどかして掃除機をかけ、玄関とベランダの掃き掃除、季節の節目には窓掃除が加わる。

夫の掃除姿は私からすれば信じられないレベルだ。これを世の主婦は当たり前でしているのか?私には到底出来ない…ストレスでハゲるかもしれない。

信じられない!本気で変態だと思う。 

 

全く手伝わないのも共同生活をするものとしてどうかと思うので、手を添えるレベルで手伝うが、基本ノータッチだ。あとでやっておこうと放置して忘れるのが私の常だが、気がついたら家中キレイになっている。妖精さんがこの家に住んでいるのだ。

 

その代わり夫は料理が苦手だ。

私の手抜きしかない料理をありがたがってくれる。自分でイマイチ感想しか出ない時でもおいしいとしか言わない。どこで訓練されたのかね。

 

得手不得手の分業がうまい具合にできるのは、本当に幸せなことだ。

 

息子には掃除も料理も当たり前のことだと仕込みたい。そして将来の伴侶に感謝し、感謝される人になって欲しい。

夫の姿を見て育てば、大丈夫だと思う。

結婚式事情

私は友人が少ない。

しかも定期的に連絡を取り合う友人はいない。

思い出した時に、必要な用事ができた時に、誰かが故郷に帰ってきた時に、おこぼれで入れてもらっているグループラインが動く程度である。

 

それでも結婚が決まった時、子供が産まれた時、お祝いをしてもらった。

程よい距離感が、面倒くさがりの私には最高の距離だ。

 

いわゆる人生のステージが変わると人付き合いが難しくなる。頼れる身内がいればまあ違うのだろうけど、家族が~子供が~という言い訳は大変多くなった。出産後、私自身がそれを痛感している。

 

結婚式、披露宴は必要か?

夫と入籍する前、ちらりとそんな話をした。

私は友人が少ないのでやりたくなかった。披露宴なんて見世物もいいところじゃないかと思う。30越えてのドレスが云々ではなく、不必要なパフォーマンスであるを思っていた。

友人が多くて、見せびらかしたいだとか、それをするのが当たり前であると思っていたとか、そういうわけでもない。そんなことより現実的な生活にお金を使うべきだと思っていた。

夫の意見はどうだっただろう。披露宴に関してはしなたくないという意見は一致していたはずだ。だが、夫は結婚式はしたいと言っていたと思う。

式は急ぐものでもないしと結論は先延ばしにし、とりあえず籍を入れて同居して新婚生活をスタートさせた。

 

私は結婚式もしたくなかった。写真だけ撮ってもらえたらそれで十分だった。

一応、ウェディングドレス願望があるが、こだわりはない。一生に一度の記録として残したいと思っていた。

しかし夫は式をしたい。

私だけの意見を押すわけにはいかないので、妥協案を探した。それが少人数挙式だった。

 

見つけたのは二軒の式場だ。どちらも格安をうたって、お財布に痛くない。リゾートウェディングやロケーションウェディング、ホテルウエディングと比べると半額以下ではないだろうか。

とりあえずどちらも見学に行き、片方の従業員の人柄が良かったのでそちらに決めた。

なんというか、無駄な質問もないし、式を挙げたい人がしたいことしか話を広げてこないのだ。それならこういうのがありますよ、という風な。

ああだこうだと押し付けてこないところが大変良かった。

しかもやろうと思えば一週間後に式を挙げることもできた。アグレッシブである。

 

ちなみにもう片方は、話を聞いているだけで疲れた。オシャレでアンティーク調で、まあステキだとは思うが、人が嫌だった。

自分の意見ばかり押し付けられた気がしたのだ。そこの式場を出た後、精神的にぐったりしてしまった。

 

 

招待客は互いの両親と、私側の祖母を1人。計5人。ちなみにお互い兄弟がいるが、招待していない。

会場はもっと入るので、最前列だけ人が埋まっているようなもの。客より従業員のほうが多い。他人から見ればなんとも貧相なのだが…大仰なものが嫌な私達には十分だ。

重要なのは式を執り行った事実だけである。

 

大急ぎで準備したにも関わらず、結果としては良かった。欲しかった写真も残せたし、式場にあったドレスでも気に入るものがあったし、滞りなくスムースに執り行えた。

嫌な思いをひとつもすることなかった。

 

一応だが、式の後は別の場所で会食をした。これは義両親の希望である。それについては反対はない。したい人が準備をすればいいのだからという理由で、特に触らなかった。

 

お互いの意見をすり合わせること。

結婚式、披露宴についてはそれに尽きると思う。それから、したいことがあるなら自らお金を出しましょうということ。

結婚に関して私が譲れなかったのは結婚指輪と写真なので、それ以外にお金を出していない。夫は少々古い考えの持ち主なので、私に出してくれとも言わないし、自分が出すものだと言っていた。何度かだすよと言ったが、辞退された。二人の間ではそれで丸く収まった。

 

一番良かったのは、互いの両親があれこれ口を出してこなかったことだと思うけどね。

自分の子供は可愛いか?

現在の私には、子供がいる。まだ0歳の息子だ。

ありがたいことに入籍してから1年以内に授かった。

夫も会社も嫌味ひとつなく受け入れてくれ、私の希望である最大限の産休育休をとらせてもらえた。本当にありがたい。

 

私は子供が好きではない。

一番の理由は、未知への恐怖である。

子供は基本、何をするかわからない。大人相手でも同じだが、何を考えているか全くわからない。

だからといって嫌いなわけではない。しかし好きではない、苦手だ。

 

造形的な可愛さや、性格的な可愛さを持つ子供は素直に可愛いと思う。結局は表面的な可愛さしかわらないし、たとえ友人の子供であっても、他人は他人であり、他人の子供であるから、そこまでの話だ。

子供が好きと言いきれる人たちは本当にすごいと思う。私は好きではないから、子供と遊んであげてと言われても、泣かれたら困るから、何をしたらいいかわからない。

むしろ全然可愛くないと思うことさえあった。

 

それでも子供を儲けた理由は、単純だ。

結婚できたのだから、その先にある普通が欲しい。1人くらい育ててみたい。

 

今思うと適当な理由だし、全く先を考えていないと思うが、明確な理由を持って子供を持つ親が、一体何人いるのだろう。

 

妊娠するまで、常に不安と1人で戦っていた。

私は欲しいと思っていたから、初期から基礎体温をつけていた。時々ストレスから排卵のない月もあったけれど、基本的に安定したリズムだった。

それでも授かるまでの半年は長く感じた。

月のものが来るたびにがっかりしたし、自然にできるか不安だった。

なにしろ、私は過去に、バカなダイエットをして月のものが半年ほど止まったことがある。

そのせいで出来ないのではないかと、不安にかられた。

 

BMIでいえば16が最高で、止まったのは17.2くらいの頃だ。これ以下の体重になると確実に止まることをこの期間で覚えた。

当時の私は、本当に馬鹿な話だが、二次元に憧れてダイエットをした。一人暮らしをしていたから簡単だった。

運動が嫌いだから続かないのは確実なので、食事を減らせばいいのだ。炭水化物ダイエットを開始した。

止まっても何も思わなかった。むしろ楽だとさえ思えた。細くなった、単純にやつれただけの筋肉のない体に満足していた。

ちなみに現在は19.6。健康体に戻っています。

 

話は戻る。

入籍から半年後、高温期が続き、月のものが来ない。ドキドキしながら使用した妊娠検査薬の陽性反応にどれほど興奮しただろう。

一回では信用できなくて、数日おいてもう一回使用した。やはり陽性だった。本当に嬉しかった。

 

妊娠中は違う不安を常に考えていた。

妊娠できたからといって、絶対無事生まれるともわからない。情報過多のこの時代、インターネットが大好きな私は暇な時間をネットサーフィンに費やし、色々と調べた。

情報もピンきりで、どれが正しくて間違っているのか、取捨選択は大変だった。

妊娠前からあやしい期間だけやめていたお酒は完全に断ち、毎朝のカフェオレもカフェインレスに切り替えた。今更葉酸サプリメントもはじめる。

夫はタバコも酒もしないので、酒断ちは苦ではなかった。もともと週に一度飲む程度だったから、簡単だったのだろう。

 

仕事は立ち仕事で、重い荷物を扱うことはしょっちゅうだったが、自ら特別控えることはしなかった。妊娠期間中、欠勤したこともない。

なんというか、心配するのが無駄なくらい順調に育っていたからだ。胎児は平均より大きく元気だった。

つわりもよだれつわりくらいで、食べつわりも吐きつわりもなく、ほんの少し体調が悪く感じる程度だった。実母が食事の準備もできないくらいつわりが酷い方だったらしいので、ラッキーだとしか言いようがない。

 

それでも産休は、出産予定日2ヶ月前からとらせてもらった。

想像以上に体が重いのだ。立ち仕事では辛い部分が日に日に増えていることを強く感じた。

正産期に入ると每日1時間は歩き回った。運動嫌いの引きこもりだけれども頑張った。

生まれたのは予定日翌日だった。

 

自分の子供は可愛いか?

世の中の親はたいていバカ親だと思う。それを痛感したのは子供が2~3ヶ月の頃だ。

ひたすら泣く乳児をあやすだけのしんどい期間を過ぎ、やっと世話に慣れて、ひとつずつ不安がなくなってきた頃がその頃だったと思う。

顔を合わせると、生理的微笑ではない笑顔をみせてくれる。これがとんでもなく可愛い。疲れが吹っ飛ぶ。

頭も口もいい匂い。手を握ってしげしげ眺めている姿は、凛としている。バタバタ手足を動かす姿は元気な証拠で嬉しい。寝顔なんて天使だ。

3ヶ月をすぎると頭も動かしてしっかり追視するしこちらをじっと見つめてくる。

4ヶ月前には人がそばにいなくなると奇声のような声をあげるのだが、近くに行くと満足そうに笑顔でンフーと。ああ、いじらしい。

 

つまり自分の子供は可愛い。他人に思う造形的な可愛さではない、頭の奥から本能的な可愛さを感じる。

人間とは単純なものだとつくづく思う。

赤ちゃんは、大人に保護されるための可愛さを振りまいているだけなのに。私の脳は完全にいかれたのだ。

不完全に産まれる人間らしい、動物的な部分ではないだろうか。

 

このまま元気に健康に育ってくれることを心から祈る。