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腰の重い女の婚活

婚活 独身時代
私は婚活をした人間だ。

日常で出会って恋愛して結婚なんて到底無理だ。そもそも日常の出会いとはいかなるものか?

 

学生時代は共学だったが、男女比率が1:9くらいのほぼ女子校だった。

そんな中にいる男は基本もてる。逆も然り。そういう男の彼女は大抵可愛い。

写真を振り返っても不細工な私が、同校の誰かと恋愛関係になれるはずもない。ましてや他校に出会いがあるかといえば更にありえない。誰が好き好んで外見も中身も不細工な私に惚れてくれるか。

私はゲームとパソコンが大好きなオタク街道まっしぐらだったので、少しも気に留めていなかったが。

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ようやく三次元に興味が出始めた二十代半ば、婚活までは考えていなかったが、誘われたら積極的に出会いの場に出ることを覚えた。人並みに彼氏欲しいとか考えたのだ。

出会いがないと嘆く人間は、出会いの場所に出ていないことが多い。私なんて~、怖いし~、自然じゃない出会いは嫌だ~…なんて馬鹿なことを言っていないで、人としての経験値を上げるために積極的に出るべきである。それでなくても出遅れている人間が躊躇するなんて、一生独身宣言しているのと同じだ。

顔面偏差値の低い私でも、とりあえず出会うことは出来た。残念ながら性格の問題で長続きしなかったが、最初の一歩が踏み出せると、案外怖くないものである。

 

まずは、安く酒が飲めるご飯が食べられる程度に考えればいいのだ。大抵は女の子価格でしか徴収されない。

現在の若者がどうかは知らないが、男性には見栄がある。一対一でないのなら、大体快く多めに出してくれる。

先に進む進まないは別として、参加することに意義がある

これは婚活にも言えることだ。怖いのは最初だけ、後は結構楽しいし、疲れるだけだ。

 

合コンや友人からの紹介で付き合うに至った人は何人かいる。が、その倍以上の人とあった。

それこそ自分の価値観とプライドをボロボロにされるような相手に会ったこともある。その程度の人間と言えばその程度なのだが、実際問題結構精神的にくる。

いい男が売れ残っているはずがないのは当たり前なのに…私自身もそうだが、残り物はなぜこんなモノを紹介しようと思ったのかとわかりかねるレベルである。

第三者から見ればお似合いなのでしょうね。

 

いつまでも待っていてもダメだ。

友人が少ない私には、紹介される人間にも限りがある。紹介する人だって、限界がある。

そこで私はようやく自らの力で動くことにした。もう30だった。

初めての婚活は、清水の舞台から飛び降りる気持ちで一人で行った。結婚相談所ではなく、ネットでの気軽なお見合いだ。残念ながらこの人とは2回目はなかった。あちらからお断りされた。

 

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2回めの婚活は婚活パーティーだ。これも一人で行った。本当は独身友人も誘ったのだが、予定が合わなかった。

これは本当に緊張した。家に帰ってから自律神経が乱れて、心臓はバクバクいうし、体中熱いし、眠れないし、ちゃんと食べていたのに一日で2キロ痩せた。意味がわからない。

 

けれどもこれで私の婚活ハードルがかなり下がった。

それから数回のパーティー参加はとてもリラックスした気持ちで挑めた。成果はないけれど、楽しい人認識してもらうくらいに気持ちに余裕があった。

 

自然な出会いは幻想。

自然な出会いなんて、そうそうあるものではない。

出会えたとして相手は自分を運命の人と思ってくれるほど、魅力的なのか?

 

無責任な周りの人間はお世辞でかわいいよ~、いい出会いあるって~と言ってくる。信じてはダメだ。安直な慰めの言葉なのだから。

人間顔ではないと言うけれど、そういう自分は第一印象である程度判断していないか?全くしていない人は絶対いないと思う。婚活なんて文字情報と第一印象ではないか。

 

のんびりしていないで、馬鹿なことを言っていないで、考えていないで、さっさと動け。

あの頃の若い自分に言いたいことは、それだけ。

掃除はしなくても死なない

家事

子供の頃、母親と会話をして言ったことがある。

その当時の私は料理はお手伝いまでで、しかも年齢が上がるとともに手伝いも嫌で全くしなかったので、「料理できる人と結婚するもん!」とか、夢物語を口にしていた。

 

私は24歳まで実家暮らしをしていた。

10代の頃から「25には家を出てね」と母親に言われており、今思うと脅しでも追い出しにかかっているわけでもない、単純に実家依存せず自立しろという意味合いの発言だったのだろうけど、根がバカな意味で真面目な私は25までに家を出ないとと思って、24の時に暮らす部屋を見つけて書類を揃えて父親にハンコを請求した。

この時の父親はどんな気持ちだったのだろう…少なくとも父親から自立しろの一言も言われたことがない。

父親は特に何も言わず、ハンコをしてくれた。引っ越しも手伝ってくれた。実家から車で20分ほどの場所だが、父親が私の一人暮らしの部屋に来たのは、母親が入院する時の別世帯の保証人のサインが欲しくて来た時一度だけである。

 

以前にちらりと書いたが、私は契約社員として働いている。ありがたいことにボーナスも年2回支給され、贅沢をしなければ貯金しながら一人暮らしをするに足りる給料を得ていた。

一応、一人暮らしを始めるにあたってどれくらい月にかかるか計算した。一番大事にしたのは会社に近いこと、それからネットができること。

裕福ではないけれど、自分だけのための一人きりの空間は最高だった。 

 

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 実家暮らしの20代の頃、祖母が入院し、母親が手伝いをするために少々不在がちになった。私はバカな意味で真面目なので、母親と祖母が出来ない分、料理をしないといけないと思い込んだ。

それから実家を出るまで週に何度か私が当番をした。

今思うとあまちゃんだし、して当たり前だと思うのだけど、私はすごくやってやってる感があったと思う。料理も洗濯もしない父親と兄弟がいたからそんな気持ちになるのは仕方がない。

私は全く料理ができない人だったので、料理本を見ながら頑張った。

とはいえ本を見ながらの料理なので、量の調節ができない。母親から年月が経って聞かされたが、父親と兄弟は、足りないイマイチと思いつつも全く文句を言わなかったらしい。言ったら作ってくれなくなるからと。

文句を言うなら食うな。よく言っていた記憶がある。

 

一人暮らしを始めてからは自炊をした。少ない給料で豊かな生活をおくるためである。

残業なし、時間にある程度余裕がある仕事だから出来たと思う。食に対する強いこだわりもないので、野菜多めの食事を心がけるくらいで味を変えて毎日同じものを食べた。

レパートリーはさほど増えなかったが、作り置きをいかに手抜きで作るかということに情熱を捧げた。

それは現在に役立っている。

 

そういう経緯で料理はすることに抵抗がなくなった。

しかし問題が残る。

 

私は掃除が苦手である。

食事はしないと死ぬし、洗濯はしないと汚いし臭いからしなければならない。

しかし掃除はしなくても死なない。だからしない。

 

掃除らしい掃除を、一人暮らしをしていた数年でした記憶は片手に収まる。

ゴミが出たらちゃんとゴミ箱に捨てたし、ゴミも週に一度出していたし、人が来るような部屋ではなかったので、困らなかった。

基本的に、困り始めたら掃除を仕方なくしていた。

 

お風呂の排水口は流れが悪くなったのに気がついた時にはじめて掃除をした。住み始めて数年経っていたと思う。びっくりするような汚れを目にしてしまった。目が汚れる。

水口ネットなどはめて髪の毛を集めるようにして、パイプクリーンの洗剤を流し、掃除の回数を減らす努力をした。

台所の流しはさすがに定期的に洗っていたが、一般人から見れば掃除が足りないレベルだと思う。週に一度していたら良かったかな?

掃除機はかけなかった。持っていないもの。その代わりフローリングモップとコロコロとハンディワイパーで対処をした。大丈夫、病気にはなりません。

テレビで見るような汚部屋なるまいと、服は床に置かない。使ったものは元の場所に戻す。このくらいは徹底した。

だから基本的に困っていなかった。大丈夫、本当に、大丈夫。

 

ところで現在育休中の私なのだが、結婚してから掃除はどうしているのか?

答えは簡単だ。私は、掃除をしていない。

掃除の全てを夫が担ってくれている。なんと夫は、お掃除王子(笑)だったのである…。

午前様が続いて、ようやくの休みの日の朝から掃除機をかけるのだ。家具をどかして掃除機をかけ、玄関とベランダの掃き掃除、季節の節目には窓掃除が加わる。

夫の掃除姿は私からすれば信じられないレベルだ。これを世の主婦は当たり前でしているのか?私には到底出来ない…ストレスでハゲるかもしれない。

信じられない!本気で変態だと思う。 

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全く手伝わないのも共同生活をするものとしてどうかと思うので、手を添えるレベルで手伝うが、基本ノータッチだ。あとでやっておこうと放置して忘れるのが私の常だが、気がついたら家中キレイになっている。妖精さんがこの家に住んでいるのだ。

 

その代わり夫は料理が苦手だ。

私の手抜きしかない料理をありがたがってくれる。自分でイマイチ感想しか出ない時でもおいしいとしか言わない。どこで訓練されたのかね。

 

得手不得手の分業がうまい具合にできるのは、本当に幸せなことだ。

 

息子には掃除も料理も当たり前のことだと仕込みたい。そして将来の伴侶に感謝し、感謝される人になって欲しい。

夫の姿を見て育てば、大丈夫だと思う。

結婚式事情

結婚
私は友人が少ない。

しかも定期的に連絡を取り合う友人はいない。

思い出した時に、必要な用事ができた時に、誰かが故郷に帰ってきた時に、おこぼれで入れてもらっているグループラインが動く程度である。

 

それでも結婚が決まった時、子供が産まれた時、お祝いをしてもらった。

程よい距離感が、面倒くさがりの私には最高の距離だ。

 

いわゆる人生のステージが変わると人付き合いが難しくなる。頼れる身内がいればまあ違うのだろうけど、家族が~子供が~という言い訳は大変多くなった。出産後、私自身がそれを痛感している。

 

結婚式、披露宴は必要か?

夫と入籍する前、ちらりとそんな話をした。

私は友人が少ないのでやりたくなかった。披露宴なんて見世物もいいところじゃないかと思う。30越えてのドレスが云々ではなく、不必要なパフォーマンスであるを思っていた。

友人が多くて、見せびらかしたいだとか、それをするのが当たり前であると思っていたとか、そういうわけでもない。そんなことより現実的な生活にお金を使うべきだと思っていた。

夫の意見はどうだっただろう。披露宴に関してはしなたくないという意見は一致していたはずだ。だが、夫は結婚式はしたいと言っていたと思う。

式は急ぐものでもないしと結論は先延ばしにし、とりあえず籍を入れて同居して新婚生活をスタートさせた。

 

私は結婚式もしたくなかった。写真だけ撮ってもらえたらそれで十分だった。

一応、ウェディングドレス願望があるが、こだわりはない。一生に一度の記録として残したいと思っていた。

しかし夫は式をしたい。

私だけの意見を押すわけにはいかないので、妥協案を探した。それが少人数挙式だった。

 

見つけたのは二軒の式場だ。どちらも格安をうたって、お財布に痛くない。リゾートウェディングやロケーションウェディング、ホテルウエディングと比べると半額以下ではないだろうか。

とりあえずどちらも見学に行き、片方の従業員の人柄が良かったのでそちらに決めた。

なんというか、無駄な質問もないし、式を挙げたい人がしたいことしか話を広げてこないのだ。それならこういうのがありますよ、という風な。

ああだこうだと押し付けてこないところが大変良かった。

しかもやろうと思えば一週間後に式を挙げることもできた。アグレッシブである。

 

ちなみにもう片方は、話を聞いているだけで疲れた。オシャレでアンティーク調で、まあステキだとは思うが、人が嫌だった。

自分の意見ばかり押し付けられた気がしたのだ。そこの式場を出た後、精神的にぐったりしてしまった。

 

 

招待客は互いの両親と、私側の祖母を1人。計5人。ちなみにお互い兄弟がいるが、招待していない。

会場はもっと入るので、最前列だけ人が埋まっているようなもの。客より従業員のほうが多い。他人から見ればなんとも貧相なのだが…大仰なものが嫌な私達には十分だ。

重要なのは式を執り行った事実だけである。

 

大急ぎで準備したにも関わらず、結果としては良かった。欲しかった写真も残せたし、式場にあったドレスでも気に入るものがあったし、滞りなくスムースに執り行えた。

嫌な思いをひとつもすることなかった。

 

一応だが、式の後は別の場所で会食をした。これは義両親の希望である。それについては反対はない。したい人が準備をすればいいのだからという理由で、特に触らなかった。

 

お互いの意見をすり合わせること。

結婚式、披露宴についてはそれに尽きると思う。それから、したいことがあるなら自らお金を出しましょうということ。

結婚に関して私が譲れなかったのは結婚指輪と写真なので、それ以外にお金を出していない。夫は少々古い考えの持ち主なので、私に出してくれとも言わないし、自分が出すものだと言っていた。何度かだすよと言ったが、辞退された。二人の間ではそれで丸く収まった。

 

一番良かったのは、互いの両親があれこれ口を出してこなかったことだと思うけどね。

自分の子供は可愛いか?

子供

現在の私には、子供がいる。まだ0歳の息子だ。

ありがたいことに入籍してから1年以内に授かった。

夫も会社も嫌味ひとつなく受け入れてくれ、私の希望である最大限の産休育休をとらせてもらえた。本当にありがたい。

 

私は子供が好きではない。

一番の理由は、未知への恐怖である。

子供は基本、何をするかわからない。大人相手でも同じだが、何を考えているか全くわからない。

だからといって嫌いなわけではない。しかし好きではない、苦手だ。

 

造形的な可愛さや、性格的な可愛さを持つ子供は素直に可愛いと思う。結局は表面的な可愛さしかわらないし、たとえ友人の子供であっても、他人は他人であり、他人の子供であるから、そこまでの話だ。

子供が好きと言いきれる人たちは本当にすごいと思う。私は好きではないから、子供と遊んであげてと言われても、泣かれたら困るから、何をしたらいいかわからない。

むしろ全然可愛くないと思うことさえあった。

 

それでも子供を儲けた理由は、単純だ。

結婚できたのだから、その先にある普通が欲しい。1人くらい育ててみたい。

 

今思うと適当な理由だし、全く先を考えていないと思うが、明確な理由を持って子供を持つ親が、一体何人いるのだろう。

 

妊娠するまで、常に不安と1人で戦っていた。

私は欲しいと思っていたから、初期から基礎体温をつけていた。時々ストレスから排卵のない月もあったけれど、基本的に安定したリズムだった。

それでも授かるまでの半年は長く感じた。

月のものが来るたびにがっかりしたし、自然にできるか不安だった。

なにしろ、私は過去に、バカなダイエットをして月のものが半年ほど止まったことがある。

そのせいで出来ないのではないかと、不安にかられた。

 

BMIでいえば16が最高で、止まったのは17.2くらいの頃だ。これ以下の体重になると確実に止まることをこの期間で覚えた。

当時の私は、本当に馬鹿な話だが、二次元に憧れてダイエットをした。一人暮らしをしていたから簡単だった。

運動が嫌いだから続かないのは確実なので、食事を減らせばいいのだ。炭水化物ダイエットを開始した。

止まっても何も思わなかった。むしろ楽だとさえ思えた。細くなった、単純にやつれただけの筋肉のない体に満足していた。

ちなみに現在は19.6。健康体に戻っています。

 

話は戻る。

入籍から半年後、高温期が続き、月のものが来ない。ドキドキしながら使用した妊娠検査薬の陽性反応にどれほど興奮しただろう。

一回では信用できなくて、数日おいてもう一回使用した。やはり陽性だった。本当に嬉しかった。

 

妊娠中は違う不安を常に考えていた。

妊娠できたからといって、絶対無事生まれるともわからない。情報過多のこの時代、インターネットが大好きな私は暇な時間をネットサーフィンに費やし、色々と調べた。

情報もピンきりで、どれが正しくて間違っているのか、取捨選択は大変だった。

妊娠前からあやしい期間だけやめていたお酒は完全に断ち、毎朝のカフェオレもカフェインレスに切り替えた。今更葉酸サプリメントもはじめる。

夫はタバコも酒もしないので、酒断ちは苦ではなかった。もともと週に一度飲む程度だったから、簡単だったのだろう。

 

仕事は立ち仕事で、重い荷物を扱うことはしょっちゅうだったが、自ら特別控えることはしなかった。妊娠期間中、欠勤したこともない。

なんというか、心配するのが無駄なくらい順調に育っていたからだ。胎児は平均より大きく元気だった。

つわりもよだれつわりくらいで、食べつわりも吐きつわりもなく、ほんの少し体調が悪く感じる程度だった。実母が食事の準備もできないくらいつわりが酷い方だったらしいので、ラッキーだとしか言いようがない。

 

それでも産休は、出産予定日2ヶ月前からとらせてもらった。

想像以上に体が重いのだ。立ち仕事では辛い部分が日に日に増えていることを強く感じた。

正産期に入ると每日1時間は歩き回った。運動嫌いの引きこもりだけれども頑張った。

生まれたのは予定日翌日だった。

 

自分の子供は可愛いか?

世の中の親はたいていバカ親だと思う。それを痛感したのは子供が2~3ヶ月の頃だ。

ひたすら泣く乳児をあやすだけのしんどい期間を過ぎ、やっと世話に慣れて、ひとつずつ不安がなくなってきた頃がその頃だったと思う。

顔を合わせると、生理的微笑ではない笑顔をみせてくれる。これがとんでもなく可愛い。疲れが吹っ飛ぶ。

頭も口もいい匂い。手を握ってしげしげ眺めている姿は、凛としている。バタバタ手足を動かす姿は元気な証拠で嬉しい。寝顔なんて天使だ。

3ヶ月をすぎると頭も動かしてしっかり追視するしこちらをじっと見つめてくる。

4ヶ月前には人がそばにいなくなると奇声のような声をあげるのだが、近くに行くと満足そうに笑顔でンフーと。ああ、いじらしい。

 

つまり自分の子供は可愛い。他人に思う造形的な可愛さではない、頭の奥から本能的な可愛さを感じる。

人間とは単純なものだとつくづく思う。

赤ちゃんは、大人に保護されるための可愛さを振りまいているだけなのに。私の脳は完全にいかれたのだ。

不完全に産まれる人間らしい、動物的な部分ではないだろうか。

 

このまま元気に健康に育ってくれることを心から祈る。

動き出した時にはすでに遅い

結婚 婚活 独身時代

私が結婚したのは31歳の時。夫と出会ったのも31歳の時である。

 

漠然と、結婚は当たり前のようにできるものだと考えていた。

私は決して明るい青春時代を送っておらず、20代の半ばまで男性と付き合ったことがなかった。

しかも当時の趣味であるゲーム、二次創作などが楽しくて仕方なく、引きこもっていても決して不幸ではなかった。好きなものつながりで知り合った友人がいたからだ。

なのにどうして結婚は当たり前のようにできるのだと思っていたのだろう。

並以下の容姿、オタク、低収入、しかも契約社員。一人暮らしはしていたけれど、マイナスではないところなんて、太っていないくらい。

 

はじめて男性と付き合ったのは20代の半ばだが、長く続かなかった。原因は恋愛がよくわかっていなかったこと、相手を心から好きになれなかったこと。

失礼な話であるが、告白されたから付き合ってみようかなと思った。それだけの人だった。

28の歳に付き合っていた彼と1年も持たずに別れた。原因はすれちがいか私のわがままか。少なくとも当時の彼にも思いやる気持ちがなかったのも確かだと思う。あくまで私目線であるが。

 

30の時に付き合った彼がある意味転機だったと思う。

その人はほどほどに距離のある場所に住んでいる人だったが、高校時代の知人が開いてくれた合コンで知り合った。

並み以下の容姿のくせして、顔が好みじゃないと嫌だ、体型が好みじゃないと嫌だとこだわっていた。なぜなら彼に出会うまでに紹介された数人が異性としての魅力を全く感じない相手だったからである。私はこの程度のレベルしか紹介されないんだなと落ち込んだ。今思うにその程度の人間であると評価されるに値する意味はわかるのだが。

話は戻り、その彼には問題がいくつもあった。当時の私に突っ込みたい、絶対に幸せになれないよと。

詳しい問題は省くとして、楽しい時間は彼からたくさん与えてもらった。恋愛とはこういうものなのかと学習できた期間である。

しかし問題のせいで私は決して最高に幸せではなかった。結局メールのやり取りで完全に切られ、私はふられてしまったのである。

これもまた彼に思いやりがなく、私にも思いやりと心の余裕がなかった、それに尽きる。

 

悲しかった。そして腹立たしくなった。最後にあんな爆弾抱えている人と別れられてよかった、色々教えてくれてむしろ感謝しているとさえ思えた。そこへ至る期間は4ヶ月くらいかかったけれど、無駄な時間ではなかった。

そして現在の夫である人と出会うまでに、初めて行った婚活パーティーで知り合った男性が1人いたが、数ヶ月で破局。これもまたふられてしまった。

その人にふられ、落ち込んでいる暇はなかった。私はその時31手前。結婚がしたかった。

 

私が結婚したい理由は、普通が欲しかったからだ。

ついでに精神的な穴を埋めるため。

当たり前のように恋愛し、当たり前のように結婚し、当たり前のように家族を作り上げる。

そんな当たり前が、普通にできると思っていたからだ。だが違う、普通とは普通以上に難しいことであるということを、私は31歳手前でようやく知ったのだ。

完全な出遅れである。学生時代の友人は少ないが、半分は結婚し子供をもうけ、半分は独身。私はその独身でいられる自信が全くなかった。

 

32歳までに結果が出なかったら、結婚相談所に入会しよう。そう決めて、独身の友人とともに出られる婚活パーティーに行った。もちろん一人でも行った。誕生日をはさみ2ヶ月、行けるパーティーに全て申込んだ。

正直、疲れた。努めて明るく振る舞うことも、頑張る自分も、帰宅後の空虚な時間も。なにもかもが疲労の原因だった。

しかし足を止める暇はない。私は結婚がしたい。

 

パーティーの成果が芳しくなく、私は大好きなパソコンでネットサーフィンをしていた。これが唯一の楽しみだった。

なんとなく見ていたページの広告にあった、大手ポータルサイトのお見合いではない恋愛婚活、以前使用したことがある、ネットでのマッチング。

いわゆる出会い系に登録した。

お見合いではなかった理由は、単純に費用が安かったからだ。期間限定のつもりで、成果などないと思って、暇つぶしに登録をした。

 

 

誕生日、仕事を終えてため息をつきながら1人でパソコンの前に座った。メッセージが着いていた。

 

その人こそ、現在の夫だ。

夫となる男性は、短文ばかり送ってくる他の人とは違った。自らを一生懸命売り込んできたのだ。私は単純な人間なので、とても興味が湧いた。

実際に会うことになったのは、メッセージを貰ってから2週間後のことだ。

 

私が、婚活するにあたって決めていた譲れない条件は、一人暮らしができる程度稼いで、痩身で、借金がなく、特別宗教をしていないこと。

第一印象はばっちりだった。そして付き合っていく中から現在で確認できたが、メール上、口先だけではなく、本当に条件そのままだった。

ありがたいことに彼も私を気に入ってくれ、それからトントン拍子につきあい始め、付き合って3ヶ月後には結婚の話が出た。

互いの両親に会いに行き、両家顔合わせをし、付き合って半年後には籍を入れた。

 

結婚とは縁である。

だが私は、私にできる最大限の努力をしたからこその結果でもあると思っている。

 

私の初動は明らかに遅かった。動き出したときにはすでに遅かった。

しかし、動き続け、踏ん張ったからこそ得られたのだと、私は信じている。

動くことに、挫折することに、意味のないことはない。